Special Contents

理事エッセイ

2014年4月
「情報化社会に求められる教養」 理事・副会長 山本忠人 富士ゼロックス株式会社 代表取締役社長


 インターネットの民生利用が始まってから四半世紀。関連したインフラや基本技術が揃い始めました。ICT革命は産業革命以上の変革を社会にもたらすと言われますが、現在のICTの使われ方ではそのポテンシャルを十分に発揮できておらず、実社会でどう利活用するかはこれからの取り組みにかかっています。
 私は、新時代におけるICTの活用方法を考え、提案する企業人には、改めて「教養」が求められているように思います。それは何故でしょうか。
 
広い視座を与えてくれる教養
 ICTを活用した価値提供として、課題解決(ソリューション)が注目されていますが、どんな課題もそれ単独で存在している訳ではありません。個々の課題には、様々な社会的背景があり、他の諸課題と密接につながっていることは言うまでもありません。
 教養は、そうした課題を俯瞰するための視座を与え、多様な価値観や視点を与えてくれると思います。つまり、個人の価値観や視点だけで物事を見て、偏った固定観念にとらわれてしまうことを防ぐ効果を、教養は持っていると思うのです。
 卑近な例ですが、私たちの業界にいると知らず知らずのうちに、複合機とはプラテンと給紙トレイがついている箱型のハードウェアが当たり前と思いがちです。しかしお客様が求めているのは「情報を正確に伝えること」であり、固定観念に縛られていると発想の幅を狭めてしまうかもしれません。広く世界を知り、本質を突き詰めて考えようとする教養は、私たちをそんな固定観念から自由にしてくれると期待しています。
 日常生活でそうした広い視野に触れる手段の一つに、新聞があります。しかし、最近の調査によると日本人が新聞を読む時間は、サラリーマン全体でも1日平均15分程度で10年前から5分ほど減っているそうです。Webニュース等メディアが多様化している面もありますが、心もとない数字だと思います。
これからの企業人、特に技術の社会への適用を中心になって考える理系人材は、社会的視座を意識的に取り入れることが重要で、一部の大学が教養教育に力を入れ始めていることは、大いに注目されるべきでしょう。特にグローバル化がますます加速する時代において、歴史、文化、宗教への理解はマーケット理解に不可欠となっています。
 
共通言語としての教養
 課題解決も価値提供も、専門分野の異なる人々がそれぞれの知見を持ち寄って協力することで可能となります。異分野間の協力は、まず対話があり、合意が形成され、共感が生まれることで、効果的な行動に繋がります。このプロセスを支える「共通言語」という意味でも、教養は重要な役割を果たします。
 富士ゼロックスはかつて、3つの会社が統合されて製造・販売体制が整いましたが、それぞれの企業文化、仕事の進め方、さらには社内用語までもが異なっていたため、統合には大変な苦労をしました。その際導入されたのが、TQCです。データに基づき科学的に考える思考プロセスや用語を統一することで、意思疎通を図ろうとしたのです。いわば、TQCを共通言語として活用したのです。また、その後も電気機械系、化学系、ソフトウェア系など多分野にわたる開発の連携にも苦労しましたが、その際は、「お客様にとっての価値とは何か」ということを共通の起点にして考えることを徹底し、足並みを揃えたことを思い出します。
 昨今、ビッグデータが注目されていますが、データサイエンティストなどの専門家に限らず、データをどう読み解くかといったある程度の統計学のリテラシーは、社会人共通の教養とされるのではないでしょうか。KKD(勘と経験と度胸)に頼った営業も、ビッグデータに基づいた分析でお客様のニーズを捉えるマーケティングに変わっていくでしょう。こうした手法や知識も、ICT活用に向けた異分野協力のために必要な教養の一つかもしれません。
 
信頼基盤としての教養
 多様な人と協力していくには、以上のように言語や論理を共有することが必須ですが、それだけでは十分ではありません。人間は理屈だけで動く訳ではなく、理屈は分かっても大きな変革を前にすると、一歩を踏み出すことを躊躇してしまうからです。
 そこで重要な教養は、人間を理解するための教養です。人の感情の機微を捉え、仲間を動機づけ、夢や目標を共有するためには、論理を越えた教養が不可欠で、それを養うには文学、演劇、芸術などが有効かもしれません。これは知識というよりアートの世界で、なかなか血肉とするのは難しいのですが。
さらに大切なことがあります。先行き不透明な現在、どんなに精緻な論理を組み立てても確実な方向を見出せないことが多くあります。それでも一歩を踏み出さなければならない局面では、「この人の言うことを信じてみよう」、「この人のために一肌脱いでみよう」と思ってもらうような、人間的魅力がどうしても必要になります。お客様や仲間などから信頼してもらえるような人間的魅力を身につけていくことを、知識としての教養の上に位置づける必要があると思います。
 アリストテレスは説得の手法として、ロゴス(言語・論理)、パトス(感情)、エートス(人間性)を挙げたそうですが、まさに行き着くところはエートスにあると思います。
 新しい情報化の時代とは言っても、本当に大切な考え方は、古くからの叡知に宿っているのかもしれません。