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理事エッセイ

2023年4月
「今こそ問われる経営者の志と覚悟」 理事 碓井 稔 セイコーエプソン株式会社 取締役会長
                                                                   
 ようやくコロナ禍も一段落となりましたが、企業経営を取り巻く環境はますます厳しさを増しています。日本では少子化が急激に進み、低賃金は海外へ逃避する若者を生み出し、国力の低下は目を覆うばかりです。
 
 昨今、人的資本経営という言葉を耳にすることは皆さまも多いことかと思います。人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、長期的な企業価値向上につなげる経営の在り方です。ご存知のように現代は人材の流動性が高まっており、このような時代に良質な人的資本経営を行うにあたって、経営者には、人材の定着に資する経営を行うという「志と覚悟」が必要と私は常々考えています。
 
 新年度に入って、ベトナム、シンガポール、インドネシアを訪問する機会がありました。
 ハノイには日本の政府や大学/企業がベトナム政府と協力して設立した日越大学があり、経営学部の学生に3時間ほどプリンティング領域をはじめとしたイノベーションと企業経営についての講義をしました。女子学生の多さとキラキラしたまなざしが印象的でした。
 シンガポール訪問では、シンガポール国立大学のベンチャー育成エリアを訪問し、関係者と懇談しました。資源の無いシンガポールでは人種を問わず優秀な人々を呼び込み、成長産業を育成することが国家戦略だと明快に語っていたことが衝撃的でした。また、シンガポール人がトップも含め全てのマネジメントを担っている当社の製造現法も訪問しました。かつてはウォッチ向けメッキの協力会社でしたが、今では経営層の半数以上が女性で、世界中を飛び回って顧客開拓をし、単なる賃加工ではなくメッキ技術のコンサルと独創の生産プロセスをベースに電子部品や航空産業機器など多様なお客様に独自のビジネスモデルを展開しており、頼もしい限りです。
 インドネシアにおいては、ジャカルタ近郊にインドネシア人がトップを務めるプリンターの主力工場があります。ここは数多くの設計者が所属するプリンターの設計拠点でもあります。インドネシアの社員を抜きではエプソンは立ち行かないのです。
 
 企業価値を創造する源泉は「人」です。そして、異なる価値観・視点・スキルを持った多様な人々の活躍が、イノベーションを創出する大きな原動力になります。社会や企業風土を変革し、「人」を育て、「ダイバーシティ&インクルージョン」を実現しなければなりません。経営者が変革を主導する覚悟を持ち、行動することが必須であると、実感した3カ国への訪問でした。
 
 エプソンは本社も含めほとんどの機能が諏訪を中心とした信州/長野にあります。長野県には東京にはない豊かで美しい自然があります。脱炭素化は待ったなしであり、これが強みにならない筈はないと覚悟を決め、活動しています。
 
 そんなエプソンが特に力を入れて支援しているのが地元のJリーグサッカーチーム「松本山雅FC」です。サッカーはこれからのエプソンの企業スタイルに最も近しいスポーツであるとの思いから強力に支援してきました。スタジアムで見るサッカーの試合は、スピーディーな展開や観客との一体感などが魅力です。選手一人ひとりの高い能力と同時に、11人のチームワークが必要です。どちらか一方だけでは強いチームにはなれません。個人の能力とチームワークの両立が欠かせないのです。
 
 企業も、社員それぞれの能力の高さと、それを生かしうる組織としての総合力が重要となります。特に社会状況が複雑になり、ハードに加えソフトの重要性が高まってきた現代では、これまで以上に多様な視点から社会の課題を感じ取り、また、将来のあるべき姿を想像してアイデアを出し合い、解決しなければなりません。社内はもとより、志を同じくする他社との総合力を最大化する構想力と実行力が大切になるのです。
 
 経営者は夢を語り、ゴールの姿とそこに至る道筋を示し、社員に納得し実行してもらわなければなりません。夢は、社員と同時に、社会の人々と共有化できるものでなければなりません。自社の独りよがりではいけないのです。現場や、そこで働く社員の強みや弱みを把握し、社会の求めるものの中から、自社が独自性を発揮できる夢の姿と、その実現に至る現実的なシナリオを描かなければなりません。社会のトレンドや、開発、設計、製造、販売の現場に寄り添う中で、感じ取れる情報をベースに戦略を描くということです。
 
 そして、現場で活動するメンバーの背中を押して現実的な一歩を踏みだしてもらい、夢の実現に向けて自信をつけてもらう必要があります。自信を持った組織は主体的に行動し始めるからです。経営者にはR&D(Reality&Dream)が必要で、現場を勇気づける存在でなければならないと考えています。社会と共感できる夢のゴールに向かって、一人ひとりが自立して動きだす。これからのビジネスでは、スピード感のある意思決定と実行力が極めて重要ですから、なおさらです。経営者にはこのような組織を創り上げる覚悟が必要です。
 
 脱炭素化社会への移行やデジタル化の進展とともにペーパーレス化が急激に進むと想定される中にあっても、他のどの国々も追従できない強い事業基盤を創り上げてきたJBMIA企業群です。これらの事業基盤を変革し、老若男女、外国の方々をも惹きつけ、多様な人の英知を結集し、世界に向かって新しい価値を発信し、世界中の人々があこがれを持って集っていただける、もっと元気なJBMIAにしたい。そのためには、私をはじめとしたJBMIAのリーダー(理事、監事や各長)が変革を主導する覚悟を持ち、行動することが必須であると考えています。
 
 最後に私から、社会で働く人々に対する思いをお伝えします。
 
 私はインクジェット技術で世界を変えたいという夢を抱き続け、その実現への強い志を持って活動してきました。プリンティングの世界を超えて、カーボンニュートラルを前提とした新たな時代の産業基盤を創り出したい、環境にやさしく人々の創造性が思う存分に発揮できる基盤を創り出したいと考え活動してきました。その時、常に自問したことは、「私の夢は、社会の人々にとっても夢たり得るのか?」ということです。夢が社会と共有化できているという自信こそが私の大きな力になったのです。
 
 会社は自分が使われる存在ではなく、自分の夢を実現する社会の公器でもあります。経営者は覚悟を持って、そのような志をしっかりと受け止める「なくてはならない会社」をつくり、そして次世代を担うみなさまには「夢を力に」、充実した人生を味わってほしいと願っています。