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理事エッセイ

2023年7月
「決められない」ことについて 理事 羽山 明 理想科学工業株式会社 代表取締役社長 社長執行役員

 私たちは人生の中で例えば進学、就職や転職、結婚など様々な意思決定をしています。日々の買い物も意思決定ですし、会社の中でも毎日様々な意思決定をしています。私は経営者として当社にとって大きな意思決定を含めさまざまなことを決めてきましたが、「決める」という経営者にとって不可欠な資質を自分は人より強く持ち合わせているのだろうか、といつも自問自答しております。
 意思決定についてあれこれ考えていたところで、ユダヤ人社会心理学者エーリッヒ・フロム(Erich Fromm, 1900~1980)の代表的な著作の1つである「自由からの逃走(Escape From Freedom, 1941 日高六郎訳 東京創元社)」を読みました。書店の戦争関連書籍コーナーで手にしたものですが、経営者の友人に聞いたところ大学で現代政治学、社会学、経済学などを専攻して読んだ人が多いようです。
 この本は、ナチスドイツ(ファシズム)がなぜ国民の支持を得るに至ったのかということを社会心理学的に分析したことで知られていますが、初めの3分の2 にはナチスドイツの事はほとんど書かれておらず、19世紀までの近代の社会構造の分析に費やされています。私なりに要約すると、中世終期から近代にかけて資本主義の勃興など社会機構の変化が起こり、束縛がありながらも安定的であり帰属を感じさせていた旧来のコミュニティが徐々になくなり、人は近代的な個人として自由を得ますが、一方で多くの人が新たな社会の中で孤独と不安を感じ、自由から逃避するために自分であることをやめたり、また決断することを放棄してしまい、その結果社会が権威主義を許容したり、破壊性を持ったり、機械的画一性に陥った、と分析されています。
 この本を読んで、私は「多くの人は近代社会における個人としての意思決定が苦手なのではないか」と思いました。そう考えると、いろいろなことが納得できるのです。社長として当社の中を見回すと、お恥ずかしいのですが様々な形の意思決定不全が見えてきます。今後についての結論が導き出されていない検討資料、なかなか本質的な議論がなされず結論が出てこない会議、逆に検討不足のまま出された誤った結論…。意思決定のスピードを上げることは経営者の責務と思いこれらと格闘するわけですが、そもそも人はあまり意思決定することが苦手なのだとすれば、このようなことは当然起こるものだと考えて対応するほかありません。
 日本人はあまり個人として意思決定するトレーニングをされていないのかもしれません。国政選挙でも投票率が50%を切ることがあるのは、政治に関心がないだけでなく「決められない」人が多いのも一因ではないか。民主主義における選挙での投票は、有権者が各候補者の主張や実績全てを理解して投票しているわけではなく、限られた情報の中で1票を投じる行為です。これは「決めるのが得意ではない」「『決める』トレーニングをされていない人」にはハードルが高いのではないでしょうか。(なお、いわゆる組織票を投じる人の中には「自分で主体的に決めたのではない」人もいるのだと思います。)
 経営者である私が第二次世界大戦中に書かれた社会学の著作から気づきを得たことは意外でしたが、社会を構成する人々によって会社が形づくられているのですから、社会学の原理原則が会社経営に通じることは不思議ではないのかもしれません。ナチスの捕虜収容所での体験記の作者エリ・ヴィーゼルがノーベル平和賞の受賞スピーチで述べた次の言葉も、不謹慎なようですがどこか会社の組織論のようで、経営のヒントが詰まっている警句のような気がしてくるのです。
 
We must always take sides. Neutrality helps the oppressor, never the victim.
(どちらの立場を取るかをはっきりさせなければならない。中立は支配者を助けるだけで、決して被害者を助けない)